ノヴァスコシア全国講演会感想エントランスへ

台風とともにノバスコシアの風を運んできた
全国縦断講演会を振り返って


池田こみち
環境総合研究所副所長
環境行政改革フォーラム事務局長
(全講演会で通訳)



2003.2-3に敢行した予備調査。マイナス20度の厳寒だった。
ペンギンになった気分の池田さん


 ノバスコシアから二人の政策マンを招聘し、北は函館市から南は福岡市まで全国7カ所での講演会は台風とともに始まった。10月6日(金)夜9時半に予定より5時間も遅れてようやく想定外の羽田空港に降り立った二人は、長旅と空港での長時間の待機にもかかわらず、元気に日本への第一歩を踏み出した。幸い、千歳空港や関西空港ではなく、羽田に緊急着陸してくれたお陰で、翌7日(土)からの分刻みの日程がなんとか始められそうだ、とまずは胸をなで下ろした。

 夜の10時過ぎに、翌日からのハードスケジュールの行程説明とプレゼンの打ち合わせをファミリーレストランの片隅で行ったのはもうずいぶん前のようにも感じられる。

 事務局として全体の行程の調整や交通手配などを行ってきたものの、やはり実際にどうなるか不安もあった。が、何はともあれ、各会場とも数百人規模の聴衆が予定されており、何としても時間通りに会場に着くことが最大の懸案だったのだ。

 最初の会場は、ごみ弁連事務局長廣田弁護士のお膝元、福島県郡山市三穂田町である。新幹線の郡山駅から車で30分足らずの農村地帯。たわわに実った稲穂が頭を垂れ、収穫の時を待ちかまえている様子だった。講師等を乗せた車は三穂田ふれあいセンターに開会1時間前に到着、慌てて近くの食堂で講師ともどもラーメンを掻き込んで講演に臨んだ。

 広い体育館の一面に畳表のござを引き詰め、地域のお年寄りから子供までが詰めかけていた。講演者も通訳の私も、最初の会場でのパフォーマンスがその後の成否を握っていると、講演のスピードや立ち位置などいろいろ考えながらの講演となった。

 あいにく、一番の農繁期にぶつかった上、台風の余波もあって、予定よりは少なかったとは言うものの470人以上もが、福島県内各地から集まってくださったことに改めてお礼を申し上げたい。今までのように直接、裁判の闘い方などをテーマとした講演会とは異なり、今後の廃棄物政策、ビジョンについて代替案を提示する内容であるため、どこまで参加者に理解して頂けるか不安もあったが、終了後には多くの参加者から「裁判をがんばっていく元気をもらった」との感想も頂き、一同、ほっと胸をなで下ろしたのだった。

 夜は、地元の皆様20名ほどと一緒に中華料理での懇親会が開かれ、和やかなひとときを過ごすことができた。また、会場では出なかった細かい質問や疑問も寄せられ、通訳の私はゆっくり中華料理を味わう暇もなかったが、充実した時間となった。

 翌8日(日)は、再び新幹線で東京に戻り、羽田空港から函館市へと向かった。台風より少し遅れてその後をついていく格好になった一行は、函館の空模様を案じながら夕方4時前に函館空港に降り立った。小雨模様だったが、空港で出迎えてくださった函館市民オンブズマンの大河内先生や地元の皆様の元気な声に迎えられ明るい気持ちで会場に向かうことができた。

 函館市はハリファックス市と姉妹都市。ハリファックス市職員だったレイ氏は、市役所職員の参加を期待している様子だったが、あいにく、地元実行委員会の再三の要請にもかかわらず、市側の協力や参加は得られなかったとのこと。講演の初っぱな、レイ氏は「函館とハリファックスは、今後は観光(五稜郭とシタデル要塞)だけでなく、廃棄物政策でも姉妹都市として協力できるとよいと思います。」とさりげなく姿の見えない市役所に皮肉の言葉を投げかけたのである。もちろん、会場は拍手がわき上がった。

 講演には、片道5時間、列車を乗り継いで遠く旭川から4人が参加された。

 会場となった私立図書館の視聴覚室の一番前列に陣取って、熱心に講演に耳を傾け、二人の講演に何度も大きくうなずく姿が印象的だった。会場には、地元の大学生も多く参加し、格好の環境教育の場ともなった。質疑応答では、自宅が処分場のすぐ近くにある、という旭川の女性が涙ながらに毎日の暮らしの中での苦痛を訴え、心を打たれた。

 「ノヴァスコシアのような戦略を実行して一番よかったことは?」という質問に対して、講師二人は、「処分場近くに暮らす人たち、影響を受けてきた人たちが救われたこと」と即座に答え、みんなが納得した。また、処分場や焼却炉のかかえる問題点をメディアがどれほどしっかりと伝えるかも大きな課題であると指摘した。函館市の七五郎沢処分場は今も紛争の中にあるが、それを乗り越えて本当の観光の町、環境の町にいつの日か変身して欲しいものである。

 三連休の最後9日(月)は午前中、懸案の函館市五稜郭を見学、タワーからは、七五郎沢処分場と函館市清掃工場の煙突も晴天のなかくっきりと見渡せた。その後車3台で処分場周辺を視察し、昼過ぎの飛行機で次の会場へと移動した。函館では地元新聞社も協力し、10月11日の函館新聞には写真入りで講演会の模様が掲載された。


2003.9、30名を連れての現地視察。堆肥工場にて

 3日目は当初から超スリリングな行程となっていた。函館から羽田に着き、急いでモノレール、山手線と乗り継いで東京駅から新幹線で軽井沢に向かうのである。その間わずか、1時間少々しかない。飛行機の離発着の遅れ、預けた荷物の出遅れが致命傷となる。案の定、台風の余波もあってか、予定の飛行機は出発が10分、到着が15分遅れ、その上、預けた荷物が今までになく出てこなかったのである。同行されたごみ弁連事務局次長の坂本弁護士と私は、やきもきしながら荷物が流れてくるベルトコンベアのカーテンの向こうをのぞき込み、地上係員をせっついた。荷物を取ったら、脱兎のごとくエスカレータやコンコースを走り、モノレールに飛び乗り、なんとか3分前には新幹線に乗り込んだ。中年を過ぎた4人ともぜーぜーの状態。(ただし、ボブはまだ40歳)

 新幹線では、東京から大宮、熊谷ととぎれなく続く市街地・街並みに、日本がはじめてのボブさんは大いにびっくり。熱心にカメラやビデオを回していた。そうこうするうち、軽井沢にはすぐ到着。軽井沢駅から会場までは連休最終日とあって超渋滞。迎えに来てくださった現地事務局の松葉弁護士のご子息とお友達は、裏道を駆使してなんとか開会10分後に到着することができた。会場には既に「前座」を務める青山貞一武藏工業大学教授の声が響いていた。

 軽井沢会場となったホールは200人を超える聴衆で満席状態。軽井沢町長のご挨拶も頂き、さっそく講演が始まった。すでに3回目ともなると、講師も通訳もやや余裕が出てきている。会場に応じたジョークやアドリブなども織り交ぜながらの話となる。県議会議員や市議会議員の姿も見られ、これからの長野県や県下市町村の廃棄物政策がどのように推移するのか、ぜひ見極めたいものである。終了後は、避暑地らしい可愛らしいホテルの懇親会場に場をうつし、40名以上もが参加して、大いに盛り上がった。遠く、伊那市や阿智村など南信地域からも参加され、軽井沢会場に長野県内各所から熱心な市民が集まった。せっかくのご馳走だったが、次々に講師のテーブルに質問やご挨拶に来られるのでまたしてもゆっくり味わうことはできなかったが通訳の辛いところ。

 翌日は、久しぶりに午前中に時間があったので、東京に戻る前に、浅間山や白根山・草津など日本の火山を駆け足で視察してもらった。何しろ、カナダには火山がないとのことで、ゆるやかに煙があがる浅間山や鬼押し出しに大感激した様子だった。

 4日目の10日夜は、主催団体であるごみ弁連の専門家会議が開かれた。少人数ながら、日本のごみ裁判、ごみ事件を背景に、つっこんだ議論が行われた。米国やスコットランド出身の弁護士も参加し、国際色豊かな集まりとなった。日本で蔓延するごみ企業の利権、談合、暴力団の介在などについての質問や司法の判断などをめぐり2時間ほどの議論は盛り上がったが、改めて両国の違いの大きさを思い知らされることとなった。少なくともノバスコシア州には談合や利権、暴力団の介在などはなく、きわめてオープンかつ公正な手続で企業への委託、契約が進められていることに驚かされた。というより、日本の実情が情けなくも思えた。

 怒濤のような3連休と専門家会議を終えるとようやく興行も半ばにさしかかる。11日(水)は終日オフ。講師二人もようやく一息付けるというものだ。朝9時半にホテルを出発し、東京タワーに昇った。私自身も40数年ぶりのタワーである。250mの高層展望台からは、360度、あちこちに焼却炉の煙突が見えて、焼却大国の面目躍如といったところ。カナダの二人もその数の多さにはびっくりした模様。特に、北方向にそびえるサンシャイン60とそのすぐ隣の豊島清掃工場の210mの煙突には、改めてショックを受けた様子だった。

 東京タワーを小一時間で終了し、引き続き、横浜市鶴見区にある東芝系の家電リサイクル工場((株)テルム)を見学した。予めお願いしてようやく見学を引き受けていただいたのだが、当日は東芝本社から2名が来られ、英語で説明をしていただけたので、一時だが私も一息つくことができた。来年秋から本格的に拡大生産者責任を制度化し家電やPCの製造者責任によるリサイクルシステムを導入しようとしている州政府代表のボブさんとしては、疑問が一杯。次々に質問を繰り出して、議論が盛り上がった。

 ノバスコシアでは、メーカーが家電やPCのリサイクル費用を計算するのが難しいと主張しているようだが、日本では製品のリサイクルしやすさや大きさに関係なく一律のリサイクル費用を課している点が特に疑問だったようである。結局、「例えば、3150円(税込み)のノートパソコンのリサイクル費用の内訳は」という質問に対し、なかなか納得のいく答えが得られなかった。

 その後、3時過ぎから、せっかく日本に初めて来られたのだから日本の歴史や文化にも触れて欲しいと、駆け足で鎌倉市内を回った。円覚寺、鶴岡八幡宮、長谷の大仏をお参りした後、簡単な和食を味わって帰った。興行の半ばでよい気分転換と休養になったことは間違いない。

 そしていよいよラストスパート。12日(木)は一日2回の講演が予定されていた。朝10時前には武蔵工業大学環境情報学部(横浜キャンパス)に到着、一服してからすぐに上下の2つの教室に470名以上が参加しての公開講義となった。町田市などから10名ほどの一般市民も参加された。お昼は学食で学生たちと混じって済ませた後、すぐさま夜の部に向かう。夜の部はカナダ大使館会議室で開催される環境行政改革フォーラム拡大版Eサロンである。カナダ大使館商務部の参事官ムッシュ・ベノア氏の歓迎のご挨拶、廣田弁護士の趣旨説明、青山貞一環境総合研究所長の概要説明と続き、講演が始まった。

 質疑応答も熱心に行われ、参加者の関心の高さがうかがえた。環境総合研究所とカナダの関係は長くかつ深い。最初にカナダに行ったのはもう20年近くも前、カルガリーで国際大気汚染学会が開催され、日本の実態を発表したのが最初である。その後、バンクーバーで開催されたグローブ90への出展、ウィスラーやトロントで開催された国際市民参加学会への参加、オンタリオ州トロントに拠点をおくカナダ最大の分析会社マクサム社(Maxxam Analytics Inc.)との技術提携、そしてノバスコシアとの廃棄物政策の交流と続いている。カナダ大使館はカナダとの技術、政策、文化の交流を快く支援していただき、また、今回も会場の提供に協力頂き改めて感謝したい。

 講師も私も相当疲れがたまってきてはいるものの、どこの会場も満席の盛況で熱心な質疑も繰り広げられることもあって、最後の福岡に向け、もう一息と気合いを入れ直した。

 13日金曜日は快晴。福岡は27度の夏日となった。空港から会場の福岡工業大学まではおよそ30分。渋滞もなくスムースに到着した。福岡も東京と同じ市街地の連続でまた二人はびっくり。大学の門を入ると、守衛さんが待ち受けていて、さっそくメインエントランスへ。玄関前のポールには、カナダ・日本の国旗と大学の旗が並んで青空にはためいていたのである。

 心憎い演出がまず講演者の心を和ませた。さっそく中に入って、理事長様への表敬訪問。暖かく迎えて頂き、日本風な源右衛門のランチョンマットや書の色紙などのお土産もご用意頂いて、二人は大喜び。その後、大学内を案内して頂き、様々な環境配慮の行き届いた施設に目を見張った。学食のレストランでは、心のこもったスナックもご用意頂き、準備は万端。

 会場となった地下ホールは、緩やかな傾斜のついたシアター形式の会場で、さっそく主催者の市民グループの女性軍が賑やかに受け付けを開始した。参加者人数が読めないとのことだったが、蓋を開けたらなんと満席、300人もが集まった。

予定の18時〜20時を大幅に超え、終了したのは20:30を超えていたが、大学側は熱心な質疑を遮ることもなく、会場を使わせて頂いた。質疑には大学教授、主婦、市会議員、高校生などいろいろな立場、年齢、バックグランドの人々が手を挙げ、大いに盛り上がった。講師の二人も熱心に答え、改めて、日本の抱えるごみ問題の根深さを知るとともに、未来に向けての勇気とエネルギーを共有できる時間となったと思う。

 演壇を降りて、講師と私は「We have done it!!」と肩をたたき合い握手した。この猛烈なスケジュールをどこも大幅な遅れや中止などがなく、完遂できたことが、何よりも大きな安堵と喜びだった。自分で行程を組んでおきながら、ほんとうに大丈夫だろうか、と心配だったが、なんとかやり遂げ、講演を聴いて頂いた1600人以上の方々にはもちろん、大きな感動と新鮮な驚きを与えることができたと思うが、話す側の二人、そして私自身も通訳を通して、改めて、いろいろなことに気づかされ、目覚め、大いに刺激を受けた1週間となったことは間違いない。

 またそれぞれの地域、現場でお目にかかる機会もあると思う。是非、そのときはまたお互いの闘いを励まし合い、慰め合いながら、日本の廃棄物政策のドラスチックな転換に向けてがんばって行くことができれば、と思う。

 最後になりましたが、ごみ弁連事務局長廣田弁護士、坂本弁護士ほか皆様、また各地元でご協力いただいた皆様に改めて御礼を申し上げます。